2006年01月23日 | |
チッソ 創立100周年、盛大に記念パーティ | |
“痛恨”の水俣病、最先端技術で経営に明るさ | |
【カテゴリー】:経営 【関連企業・団体】:チッソ |
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創立100周年を迎えたチッソは23日、東京・赤坂のホテルオークラで記念パーティを開いた。会場には、後藤舜吉会長、岡田俊一社長両氏が出迎える中、化学業界や取引先企業の首脳、政官界関係者ら約560人がつめかけ、晴れの創立一世紀を祝った。 1906(明治39)年、野口遵氏が鹿児島県に建設した火力発電所(曽木電気)が母体。その後日本窒素肥料と改めるとともに、熊本県水俣市でカーバイドを製造、さらに石灰窒素や硫安の事業化に取り組み、化学会社としての地位を築いた。昭和の初めには、北朝鮮に水力発電を中核とした、世界屈指の化学コンビナートを展開。 戦後は、新日本窒素肥料として再出発し、オクタノール、高度化成肥料、超高純度シリコンなどの製造にわが国で初めて着手したほか、ポリプロ・ポリエチなどの石化事業に進出。ポリプロでは独自のプラント技術や複合繊維製品を開発してきた。現在はエレクトロニクス分野や新素材関連の製品開発に成果をあげている。 パーティ会場にはスクリーンが用意され、こうした同社の歴史を15分に収めたビデオが写し出された。同社の100年は、日本の化学工業の歴史そのものともいえるだけに、見終わったあと、場内からは盛大な拍手が沸き起こっていた。 チッソにとって、後半の半世紀は水俣病という、痛恨の「負の遺産」を背負っての経営となったが、それも1996年には「全面解決」しており、最近は高機能商品を中心に業績も明るさを取り戻している。 |