2009年11月05日
下関三井化学で三フッ化窒素設備が爆発事故
【カテゴリー】:環境/安全
【関連企業・団体】:三井化学

 4日午後1時30分ごろ、山口県下関市彦島迫町の下関三井化学(岸元忠良社長)の本社工場(三フッ化窒素製造設備)で爆発があり、火災も起きて作業員ら数人が軽いけがをした。
 
 三井化学は同日、ホームページ上に「子会社における火災・爆発事故について(お詫び)」と題し、事故の内容と謝罪文を掲載したが、詳細は現在調査中。
 
 同社によると、爆発事故が発生したのは4日午後1時30分ごろで、社員1人がけがをしたほか、協力会社の社員1人がやけどを負った。また近所の住民に切り傷や喉の痛みを訴える人、計3人が出た。
 
 工場は現在全プラントを自主停止中。5日には関係当局の現場検証が行われる予定で、再開の日取りなどはその後に判断する。

 三フッ化窒素は半導体素子、液晶素子、太陽電池などの電子デバイス製造に不可欠な高純度特殊ガスの原料となるもので、オゾン層を破壊するパーフルオロカーボン(PFC)の代替物として、このところ需要が増えている。三井化学は下関三井化学のほか米国ミシガン州にも製造拠点を持ち、日米両国から供給できる体制を構築している。

 下関三井化学の沿革は古く、旧東洋高圧工業・彦島工場にさかのぼる。大正13年、日本初のクロード法によるアンモニア合成プラントを完成したのに続き、昭和9年には日本初のメタノール合成工場が操業を開始。12年には尿素、ホルマリン工場が完成した。戦後もいち早く再開し昭和30年に合板用接着剤。その後もトリポリ燐酸ソーダ、カーボンブラックなどの製造を手がけてきた。
 
 しかし時代の変遷の中で、会社の形態や社名が何度か変わり、設備も絶えずS&Bを繰り返してきた。下関三井化学の誕生は当時の三井東圧化学と三井石油化学が合併し、現在の三井化学が誕生(1997年)した後の2000年。また三フッ化窒素工場の完成は三井東圧化学時代の1990年だったというから、20年に近い操業の歴史を持っていることになる。


■下関三井化学の会社概要

(1)社名    下関三井化学株式会社
(2)営業開始  2000年10月1日
(3)資本金   30億円(三井化学:100%)
(4)社長    岸元忠良
(5)本社・工場 山口県下関市彦島迫町7-1-1
(6)事業内容
 ◇燐系製品(製錬燐酸、各種燐酸塩)、肥料(ホルム窒素)の製造・販売・研究
 ◇フッ酸、燐酸、硫酸、その他スラッジの回収再生
 ◇排水中のフッ素処理技術
 ◇半導体用ガス(三フッ化窒素、四フッ化珪素)、ホルマリン等の生産受託
(7)従業員   161人(09年4月1日)
(8)売上高   160億円(08年度)