2016年09月06日 | |
矢野元デンカ社長のお別れ会に800人 | |
【カテゴリー】:経営 【関連企業・団体】:デンカ |
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「平成の大不況」のさなかデンカの社長、会長として積極的に社内の構造改革に取り組み、“新生デンカ”の基礎を築いた矢野恒夫氏のお別れ会が6日、東京都千代田区のホテルで開かれ、米倉弘昌前経団連会長ら化学業界首脳や関係企業、商社のトップら約800人が故人をしのんだ。 社長に就任したのは、バブル崩壊間もない1992(平成4)年だった。化学業界は内需が伸びず、国際競争の渦中にあったが、ひるむことはなく「うちは事業の幅が広く製品が多岐にわたっている。コア事業への本業回帰とスペシャリティの充実にまず取り組む。アライアンスもやる」と意欲を見せ、その後塩ビやスチレン事業の改革など次々に手を打ち成功させた。 仕事は厳しいが、一歩離れると人懐っこい笑顔を見せた。戦後間もなく旧制愛知一中(現旭丘高校)から京都大学へ進んだが、思い出は中学時代の方が多いらしく「戦時中はよく教練をやった。寒中水泳もやらされた。正月にプールに飛び込むんだぞ」と楽しそうに振り返っていた。ジョークも得意だった。日化協の叙勲祝賀会に旭日中綬章受賞の矢野さんは単身で出席した。「女房?ああ、家にしまってきたよ。一番奥の部屋に入れて、外からカギをかけてきた」と、照れたように笑っていた。明るく、華のある経営者として周りから親しまれていた。 |