2017年10月03日 | |
村田・元昭電社長お別れ会に920人 | |
【カテゴリー】:経営 【関連企業・団体】:昭和電工 |
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石化業界が苦境にある中で、石油化学工業協会会長として業界再編をリードしてきた昭和電工・村田一元社長のお別れの会が3日、東京都内のホテルで開かれ、集まった多くの業界首脳や友人らが故人を偲んだ。 村田さんは昭和元年(1926年)生まれの長野県人。終戦の年の20年に東大工学部に入り、卒業後昭電に入社した。大町工場で長く黒鉛電極の製造、技術開発を担当した。第一次石油ショック後のアルミニウム業界受難時には、昭和電工千葉アルミニウム社長として再興に尽力した。「国際競争力のない産業はこれから厳しくなる」と、よく口にしていた。 石化業界が不況のさ中にあった平成5年には、吉田正樹・三菱油化社長(当時)の後を受けて第17代石化協会長に就任した。エチレン生産量が2年連続前年割れとなり、急激な円高が追い打ちをかけた。だが村田さんは、たび重なる苦境にひるむことはなかった。記者会見の席でも大きなからだで泰然とし、穏やかな表情で受け答えしていた。どれだけ業界を勇気づけただろうか。その直後にポリオレフィンや塩ビ業界の事業統合が実現した。石化協のほかにも日化協会長、通産省化学品審議会会長などとして産業界の発展に尽力した。お別れの会には化学業界をはじめ関係各界から920人がつめかけ、恩人との別れを惜しんだ。 |