2018年07月24日 | |
高橋博・元クレハ社長 お別れの会 | |
【カテゴリー】:経営 【関連企業・団体】:クラレ |
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クレハは24日、都内のホテルで5月26日に96歳で亡くなった、高橋博元社長のお別れの会を開催した。第二次石油ショックの影響で塩ビ業界が大混乱に陥っていたとき、塩ビ協会長として、4共販体制を作り上げた立役者である。第二次ショックの起きた1980年当時、塩ビメーカーはモノマー専業も含めて17社もあった。原油価格が急騰する中で需要は冷え込み、価格競争は激しさを増すばかりだった。「この不況は、景気循環によるものとは本質的に異なる」というので“構造的不況”と呼ばれ、集約化や合理化の必要性が通産省(当時)からも指摘されていた。だが業界には抵抗も強い。「あの会社とは組みたくない」、「設備処理をしたところへは、葬式代を出すのか」、「もっと競争させてほしい。集約化はそのあとだ」など、議論百出となった。商社やユーザーも絡みなお複雑な構図になる。高橋塩ビ協会長は、根気よく各社を説得して回った。「どの会社も、できない理由ばかりあげてくる」とは、後日漏らした言葉だが、何と2年後の81年には4グループへの集約化が実現したのである。生産規模もほぼ均等で、業界内のどこからも不満は出てこなかった。真面目でおだやか、誰からも信頼されるこの人の人柄を抜きに塩ビ業界の今日を語ることはできないだろう。お別れ会の会場には、古い業界関係者も多く集まり、ありし日の故人をしのんだ。 |