7月23日判決予定の東京大気汚染訴訟、
自動車・道路側有利か

佐藤光翔


 わが国の主な大気汚染公害訴訟は1967年の四日市の地域住民による汚染差し止め訴訟が1972年に第一審で勝訴していらい1996年の東京住民の関連道路の使用差し止め訴訟まで8件を数える。
 
 東京訴訟はことしの7月23日に一審の判決がでる予定だが、この35年間、東京訴訟を除く、7件については疫学の権威から公害訴訟の経緯と現状が指摘されたのでその特徴的な内容にふれることにした。
 
 経緯をみると四日市訴訟は原告の汚染差し止め、賠償要求が認められ一審で勝訴(被告は企業集団)したが、千葉(提訴1975年、和解1992年)、大阪西淀川(同1978年、同1998年)、川崎(同1982年、同1999年)、倉敷(同1983年、同1996年)、尼崎(同1983年、同1996年)、名古屋(同1989年、同2001年)の訴訟は原告が一審で勝訴したのち2審中途で和解している。
 
 原告はいずれも地域住民、被告は千葉が一企業(提訴の内容、汚染差し止め、賠償要求)、大阪西淀川、川崎、尼崎、名古屋が企業集団と道路管理者(同、関連道路の使用差し止め)、残る倉敷が企業集団(同、汚染差し止め、賠償要求)である。
 
 いずれも二審(高裁)の判決をまたずに和解している。問題は和解なので「拡散した汚染物(SO2、NO2など)についての影響にふれず、その判例が残されていない」ことである。少なくとも大阪西淀川の一審では「複数の汚染物の相加、相乗作用の影響」、川崎でも「その時点における関心の高い汚染物質が影響を現わす主体的な原因」と汚染物の影響を指摘しているのである。
 
 これについては1973年に判定された公害健康被害補償法(大気系)を原告側が意識したものとみられる。公健法は指定疾病、指定地域(大気中SO2濃度が年平均0.05PPmを超えていることなど)、認識方式、補償内容などをきめた。
 
 このあと汚染レベルも低下し、指定疾病がもっぱら汚染大気への暴露によって発生したと考えることが困難となった。つまり汚染物質を究明することが難しい状況になったのである。指定疾病の慢性気管支炎、気管支喘息、肺気腫、喘息性気管支炎のうち肺気腫は99%がタバコ、喘息性気管支炎はほとんど中学生までに直るといったデータがそろった。
 
 結局、各訴訟の共通事項として今日までに(1)四日市を除いて原告は公健法被認定者によって組織されている(2)二審判決に至った例はない(3)大阪と川崎訴訟では、それぞれ一審判決がでている(4)原告1人当たりの賠償額が低下する傾向にあり、名古屋は大阪の半分以下であるといった事例が浮び上がった。
 
 そして「患者集団を組織するのに意図的、意欲的な弁護士団が存在している」「判例として定着している例がなく、訴訟を起こせば賠償金がとれる」「判事の権限が大きく、疫学資料の取り扱いに対しての批判に影響されない、判例のないことが影響しているとみられる」などの訴訟の特性が指摘されるようになった。
 
 以上のようなことで東京訴訟(原告は地域住民、被告は自動車メーカーと道路管理者、提訴の内容は関連道路の使用差し止め)は原告に有利な状況はない。以上の考えを示した疫学の権威は(1)公健法非認定患者が多数原告に加わっている(2)自動車、ディーゼルメーカーのみが被告である(3)疫学論議が不要と言われている(4)車の排気ガスの問題は固定発生源(煙突)に比べて地域性が少ないなどの理由をあげている。(佐藤光翔)

2002年05月14日掲載