『化学業界のあり方と行政の役割』

 

経済産業省製造産業局化学課長

本庄 孝志 氏

 T.HONJYO

 経済産業省の化学課長が突然交代し、前課長の宮城勉氏が内閣府に転出、後任に資源エネルギー庁から資源・燃料部政策課長の本庄孝志氏が就任した。
 突然の異動劇には新旧両課長ともさすがに驚いたようだったが、新任の本庄氏は20年前、石化業界の不況が深刻だった当時、基礎化学品課にいたこともあり業界事情に精通している。
「“出口”と“入口”を見るかぎり、業界はあまり変っていないようだ」「でもあの頃より内外環境はかなり厳しい」など、見るべきところは見ているようだ。
━突然の辞令で、驚いたのでは。

 上司から内示をもらったとき、思わず大きな声で「それ、冗談でしょうね」と叫んでしまった。私のファースト・レスポンスがそれだった。だってまだ1年と1か月だ。驚いたなんてものじゃなかった。でも、よく考えてみたら、前任の宮城さんは5か月余りだからもっと異常だ。それを思うと、自分のことはあまり言えないな、という気持はする。

━エネ庁ではどんな仕事をやっていたのですか。
 4グループの枠組みはできた。でも日石三菱とコスモ石油、ジャパンエナジーと昭シェルの両グループには、もう少し取り組みを進めてほしいなという感じをもっている。
 出光興産は将来の上場を目指して、株式の第3者割当という第1ステップに踏み出された。いい方向にいっていると思う。
 エクソンとモービル、これも本体同士が合併したし、日本でも再編・集約化に向かって動いている。完全外資系の企業だが国としては外資系と民族系で差別しない。企業側も日本の石油政策には協力すると言っている。今後、競争力のないところはリファイナリーの縮小など、さらに合理化に取り組まざるを得なくなるだろう。まだ大変だと思う。
━久しぶりに化学課に戻ってきて、いまの 石化業界にどんな印象を。
 まだよくわからないけど、「出口」と「入口」だけ見ると、当時とあまり変っていないなという印象を受ける。もっとも中味のほうは変っているはずでこれから勉強したい。
 私が基礎化学品課(当時)にいたのは昭和56年から57年、まさに業界は“ナフサ戦争”のさなかにあった。課長は内藤(正久)さんだった。結局国産ナフサの値決めスキームが決まって解決したが、次に体制整備、設備処理の問題が出てきた。産構審に小委員会をつくり、独禁法の問題や産構法の議論をした。業界首脳調査団が欧州に出かけたとき、私は事務局としてお供させていただいた。あの頃のことはいまもよく覚えている。
━あの当時といまとでは、アライアンスの進み方にしてもだいぶ違います。
 三井も三菱も合併して1つになり、今度は三井と住友が統合する。ポリオレフィンのアライアンスも進んでいる。それにあの頃に比べると、原料問題にしてもより深刻になっている。台湾、シンガポールなどアジア各地に大型プラントもどんどん建っている。経営環境はあの頃よりはるかに厳しくなっていると思う。
━石化業界はどうあればいいですか。また今後どんな行政をしていきたいと。
 まずコスト競争力をつけることだ。そのためのアライアンスも、“ヨコ系列”だけでなく、川上から川下まで“タテ系列”の連携があっていい。コンビナートの構成も地縁と資本の関係など錯そうしてきている。 製造施設の集約化をどう進めていくか、研究開発も重要だし環境対策もある。取り組むべき課題は多い。
 私はそうしたなかで、まず業界の将来像、今後のあるべき姿を業界の人たちと一緒に考えていきたい。そして私の方から具体的にアドバイスや問いかけをさせていただく。それが私の仕事になると思っている。小泉さんではないが、構造改革には痛みを伴うかもしれない。でもそれをしていかないと21世紀に生き残れない。そのぐらいの覚悟が必要だと思うし、そのためにお役に立つことがあれば、なんでも喜んで引き受けるつもりだ。